大衆とは何か?どこよりも詳しく哲学的に解説!!
どうもどうも( ´ ▽ ` )ノ
ともぴこです。
前回は、大衆とはどういう人なのか?という内容を滔々と書き連ねました。
この記事→大衆とは何か?その大きな特徴2つをどこよりも分かりやすく解説!! - はぎのともぴこの幸福論
んで、私的な「大衆」の定義は
①何でも白と黒に分ける、二元的思考の持ち主
②自分の価値観や考え方が、絶対的or正義であると思っている人
だという結論を、様々な例を出して説明しました。
今日はその前回の内容を、より分かり易く、より具体的にして説明していきますね( ´ ▽ ` )ノ
◆大衆という生命体をさらに細かく分けると?
で、「大衆」という生き物をさらに細かく明確に説明するならば
→理解という段階を飛び越えて、いきなり【好悪の問題】で、物事を判断するor判断しようとする人。
こうなります。
更に厳密に言えば
「大衆」とは
→自分の感情的な好悪と、対象の客観的な評価を分けて考える事が出来ない人々です。
自分の頭の中で【好悪】というカテゴリーを勝手に作り出し、目の前の事象の理解から逃げている人々の事を「大衆」と呼びます。
【自分の好悪】という、狭い狭い自分の世界でのみ生きている人々が「大衆」であると言えます。
しかも「大衆」はタチの悪い事に、自分の好悪の中の【悪】に属する物や人を発見すると、徹底的に叩くという癖もあります。
きちんとまとめると
大衆とは?
①理解という段階を飛び越えて、いきなり【好悪の問題】で、物事を判断するor判断しようとする人
②自分の頭の中で【好悪】というカテゴリーを勝手に作り出し、目の前の事象の理解から逃げている人々
③【自分の好悪】という、狭い狭い自分の世界でのみ生きている人々
④自分の好悪の中の【悪】に属する物や人を発見すると、徹底的に叩く人々
⑤自分の感情的な好悪と、対象の客観的な評価を分けて考える事が出来ない人々。
こうなるんですね。
しっかり分析すると、いわゆる「大衆」と呼ばれる人々がどんな人か、明確になって来ると思います。
私が常々発信しているように、今書いた様な「大衆」になることこそ、これからの時代一番のリスクになります。
だって、自分の感情的な好悪と、対象の客観的な評価を区別できないということ。
それはつまり、
【何をしても学びがない】ということを、意味します。
「大衆」は何を見聞きしても
「あれ好きー!」
「それきらーい」
という、ミニ四駆もびっくりな思考回路でしか、物事を捉えられないわけですから。
「なんで好きなのか?」
「なんで嫌いなのか?」
その「なんで」という一番重要な所が抜け落ちてるのが「大衆」です。
「なんで?」という思考の根幹を放棄した「大衆」には、当然学びはないし、成長もありません。
ただただ好悪に流されて、振り回されて、何となく生きていく事になってしまいます。
こういう「大衆」になってしまったら最後で
自分の好悪という極端に偏った世界を作り上げ、そのドブみたいな世界に閉じこもり、自分の都合の良い事しか考えられないアンポンタンな人間として、生涯を終えることになります。
◆大衆の逆は、人やモノをリスペクトする人である
さっきからずっと言ってるように、本来人間は【理解の後に、好悪の判断に突入するべき】なんです。
ミスチルの楽曲の完成度の高さ、歌詞の表現力はすごい。でも、ミスチルは好きじゃない。
B'zの楽曲はいつもワンパターン。 編曲も毎回大体同じ。でもB'zが好き。
有吉のネタは面白くない。
でも応援しちゃう。
こんな感じで、好悪の判断に踏み込む前に、しっかり【理解】すべきなんです。
目の前の物事や人物を、まずは理解しようとすること。
この姿勢を持たなければ、自分の感情的な好悪と、対象の客観的な評価を分けて考える事が出来ない「大衆」の仲間入りです。
この物事や人物を理解しようとする姿勢、それは【リスペクト】だとも言えます。
勘違いしちゃいけないのが【リスペクト】は、気持ちの問題じゃ決してないってコトです。
【リスペクト】とは【理解】のことです。
尊敬するためには、必ず【理解】という前段階を踏む必要が出てきます。
例えば、イチローの事を何も知らないのに、彼を何となく【リスペクト】してる人っていないと思います。
彼の努力量や姿勢、態度、経過、成績を理解しているから、リスペクトしてるんだと思います。
つまり【理解はリスペクトに直結します】
ということは、好悪の判断の前段階である理解をすっ飛ばしてしまってる「大衆」は【何事もリスペクトしていない】という事になります。
何もリスペクトていないから、自分の悪に触れる人物や物事を、あれだけ無残に否定したり、叩いたりできるんですね。
つまり「脱大衆化」するためには
物事を理解する。
これが最重要事項になるんです。
【自分の主観と、客観的な評価や価値を分けて考えられるか否か。】
ここが「大衆」と「そうではない人々」の国境線になります。
◆嫌いと美味しくないは違う
例として、あなたがスタバのコーヒーが嫌いだとします。
それはそれでいいんですが、ここで大切なのは
【嫌いと美味しくないは違う】ということです。
「嫌い」っていうのは、ただの主観です。知識や理解は伴ってません。
でも「美味しくない」は、知識や経験に基づいた、理解です。
この【嫌いと美味しくないを分けて考える事ができない人】が「大衆」なんですね。
例えば、私がこの前宿泊した旅館のサービスはあんまり良くありませんでした。お願いした指圧の方の腕前もそんなに良くありません。
これは、私がこれまでやってきた旅館のコンサルの経験、様々なビジネス現場での経験からの理解です。
指圧のおばあちゃんの腕前も、私は人体や健康には相当詳しいので、それに基づく理解からするとそんなに良くありません。
でも、おばあちゃんのサービスは最高でした。
一方で旅館のサービスはイマイチでした。
こんな風に、同じイマイチでも違う感想になることもあります。
これも丁寧に理解しようとしてるからこそだと思います。
感情的に「腕前が良くない=クソ」と、理解しないで断言することもできますから。
◆最後に
ここから話が壮大になるんですが、
民主主義ってシステムの本来の姿は
【私はあなたの意見に反対だ。でもあなたがその意見を言う権利は、必ず守る】というものです。
そして、この姿こそが「脱大衆化」に繋がるはずなんですが、
最近の民主主義は
【私はあなたの意見に反対だ。なぜなら間違っているから。私の意見に賛成しないなら、徹底的に叩いてやる】っていう、まるでどこかのファシズム政権の様なシステムになってしまってるんです。
多数派の意見とは異なる人々を
「正義」や「道徳」という言葉の武器を使って、どんどん排除していく。
こんなのが、最近の日本の民主主義です。
そんな最近の民主主義の状態を、そのままコピーしたのが「大衆」です。
もしかしたら「大衆」が大量発生しているから、日本がこんな感じになってるのかもしれません。
今回は長々と書きましたが、
私が言いたいのは
理解に徹っして
リスペクトの態度を忘れず
自分の感情的な好悪と、客観的な価値や評価を分けて考えて、
脱大衆化しようぜ。ってことです。
ではでは( ´ ▽ ` )ノ
今日も貴重なエネルギーを使い読んで頂き、ありがとうございました。
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