徳を積む秘訣と感謝する秘訣

 

 

徳川家康は幼少の頃から苦労の連続だったにも関わらず、なぜ腐らず生きれたのか?

 

 

どうもどうも( ´ ▽ ` )ノ

ともぴこです。

 


今日は、現在私がやっている「Install of Story」という講座内の記事の一部を紹介しますね。

 

 

この記事は、参加者からの質問に答えるという形式になっています。

 

 


__________ここから質問__________


感想アンド質問です。

 

なぜ徳をつめないか
①目に見えないから
②余裕がないから
③タイムラグがあるから


余裕がないから、自分の欲求が満たされていないのに他人までは無理。

 

 

このことは、自分が母親になって、自由の欲求、生存の欲求、楽しみの欲求等を満たす大切さを痛感し、自分で満たせるようにタイムスケジュールをくんだり、周りの手を借りたりしています。

 


話に出てきた徳川家康は幼少ころより苦労してきて、自分の欲求はあまり満たせていなかったと想像します。

 

それなのになぜ、徳川家康は徳を積むことができたのでしょうか。

 

 

自由の欲求、愛、所属の欲求等は満たせていなくても なにか別の欲求が満たせていたからなのでしょうか。

 


と自分で書きながら別の欲求とは何だろう・・と悩んでいます。


__________ここまで__________

 

 

 

メールありがとうございます^ ^

 

 

これはとても良い質問なのでお答えしますと「家康が幼少の頃から苦労の連続にも関わらず、なぜ腐らず徳を積めたのか?」というと、

 


【徳川家(若い頃は松平家)を守らなければならない】という使命感・お役目があったからです。

 

 


そしてこれは、どちらかというと自分のためというよりも「お家のため」「家臣のため」「ご先祖から継いだものを途切れさせてはいけない」という様な思いです。

 

 

 

当時の武士や領主の1番の目的は【家を守ること】です。

 

 

このために、戦争もやるし、理不尽な事も飲み込むし、平身低頭したり、子供を人質に出したりもしていたわけです。

 


つまり《自分はこれをやるために生きているんだ》いう使命感が、家康を支えていたんだと思います。

 

 

例えば、私たちもどんなに苦しい事や辛い事があっても「子供のためなら」と思って頑張れますよね。

 

それと似た感覚です。

 

気付いている人も多いと思いますが、私たち人間は"自分のため"という原動力で頑張っている時よりも


"誰かのため"を原動力にしている時の方が頑張れたり、パフォーマンスが上がったりするもんですし、辛い時も耐えられるもんです。

 

 

私たち現代人なら、これが


子供のため
親のため
社会のため
応援してくれた人のため
お客さんのため
社員のため
地域のため


という感じになるでしょうが、家康なら「徳川家・徳川家臣団のため」だったという事です。

 


違う言い方をすると、家康は欲求や承認そを目的としていたのではなく、より高次元な目的を持っていたからこそ、この辛い人生を乗り越えられたんだと思います。

 

 

 

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こういう風に、私達も「〇〇のためなら!」と思い描くだけで、エネルギーがフツフツと湧いてくる様な何かを見つけられたのなら、たとえ欲求や承認がなくても頑張れるものなんですよー!

 

私も「自分のため」に仕事をしていたのなら、おそらくこんなに死ぬほど働いてません。金銭的にも余裕があるわけですし。

 

それでも「自分と関わってくれた人の人生を良くしたい」という想いや「〇〇みたいな世の中を作りたい」という理想があるからこそ、血反吐を吐いて頑張れるんです。(〇〇は秘密です笑)

 

なのでぜひ、自分の内側からフツフツとエネルギーや情熱が湧き上がってくる様な何かを見つける・作る意識をしながら、毎日過ごしてみて下さい。

 

では、次のメールにいきましょう!

 

 

 

◆余裕を持つ秘訣

 

__________ここから__________

 

ぴこさん、こんにちは。

 


「余裕はどうしたら持てるのか」について、

 

①感謝する、②足るを知る

 

だとありましたが、それについて思ったことをシェアしたいと思います。

 


私自身は小さいときから、普通に不便なく育ちました。

 

 

何不自由なく両親がその環境を提供してくれたわけですが、高校を卒業し大学生になった頃から

 

これが世界の常識ではないということを、テレビやニュースからは見聞きしていたものの、普段の生活の中では実感できないことに、満足できなかった自分がいました。

 

そしてある意味、この満ち足りていること自体にマンネリ化を感じていたのも確かです。

 

それがきっかけで、不便を感じる海外に出て、いろんな違いの中で学びたいと思い、結局アメリカに7年ほどいました。

 

言葉の壁、食べ物の壁、文化や考え方の壁、社会常識の壁、全部の壁があり、違いを感じて初めて両親に感謝し、日本の文化や食、そして何も言わなくてもわかってくれる「あうん」の環境に感謝することができました。

 


さらに、究極の感謝、そして足るを知るを求め、私はその後何もないアジア・アフリカでの生活と仕事を始めることになるわけですが、本当に、水も、電気も、美味しい食べ物も、何もないところ。

 

でも、本能的にこんなところで仕事をしていくことを決め、その環境を体験し、そこで住む人達と共に現状と将来を語り、いろんなプロジェクトに取り組むことを通して、私の人生も豊かになっていったと思っています。

 


人間は、飽和状態ではなく「ほどほどにあること」が(そしてあるよりもむしろないほうが)どれだけ豊かで幸せなこともあるということを、シンプルに生きる人たちと一緒にいて、実感しました。

 

ないところで生きている人たちを知ると、私の「ないこと」についてフォーカスはできなくなります。

 


そして、当たり前にあることについて感謝できることで、人にも優しくなれ、自分以外の人にも「分け与える」ことができ、本当の意味での循環の世界を体感できるようになれると思っています。

 


最後に、子育てをしていても、食べ物を粗末に扱う子供達に対しても「足るを知る」や「感謝」の心について、わたし自身のアジア・アフリカ経験を伝えながら、できるようになったなぁと思っていました。


(私の親の時代は、昔の貧しい日本の経験を伝えることで、いろんな教えを子供たちに伝えていたんですよね)

長文になりましたが、思ったこと書きました~!
PS、今ケニア行きの途中のドバイ空港のラウンジからです。

__________ここまで__________

 

 

 

という事で、私の解説がいらないぐらい濃密な、そして貴重な体験を基にしたメールを頂きました。

 

 

本当にありがとうございます。

 

これは
《足るを知るために、実際足りてない所に行ってみた》という体験談ですが、ぶっちゃさこれが1番分かりやすいですし、最も腑に落ちますよね。

 


そして、私たち日本人が足るを知りにくくなった原因は、やっぱりあらゆるものが飽和し、当たり前になってるからだと思います。

 


当たり前に24時間電気を使える。
当たり前に安心安全な水を飲める。
当たり前にネットが使える。
当たり前に美味しいご飯が食べれる。

 


といったように、私たちはもう色んな事が【当たり前】になっているからこそ、どんどん感謝ができなくなり、足るを知る事もできず、どんどんないものフォーカスになっていってしまってるんですね((((;゚Д゚)))))))

 

なので、ぜひ【当たり前のことが、実は当たり前ではないという感覚】というのを、ぜひ皆さんには取り戻してもらえたらと思います。

 

そしてそのためには、オススメなのが「ない体験をする」という事です。

 

もちろん、メールをくださった方のようにアフリカ・アジアに行き体感するというのもアリですが、現実的にそれは難しい人も多いでしょう。

 


そういう人は


制限体験

 

というのをやって下さい。

 

 

例えば、


スマホを今日1日使わない。
車を今日1日使わない。
エアコンを今日1日使わない。
目隠しをして歩いてみる。


などなどです。


そうやって、敢えて制限を加えてみると「どれだけ普段が便利でありがたい環境なのか」という事に気付けると思います。


そしたら「ありがたいなあ〜」と口に出して言ってみて下さい。


そうする事で、どんどん感謝の気持ちや、足るを知るという気持ちが芽生えてくるとハズです^ ^

 

 

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ではでは( ´ ▽ ` )ノ
今日も貴重なエネルギーを使い読んで頂き、ありがとうございます。

 


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