太宰治の「人間失格」の感想と、そこから学ぶ本当の強さとは?②
◆今更ながら、太宰治の人間失格の名文
さてさて、前回に引き続き太宰治の「人間失格」について書いていきたいのですが、
前回の記事→http://pikonotisikidana.hatenablog.com/entry/2017/04/06/160126
私は当時22歳になりかけで、その若さでは無謀とも言える「独立」を志していたので、周りからは「ムリだムリだ」「世間のレールから外れるのか?」などと散々に言われていた頃でもありました。
ただ、メンタルの強さには定評があるので、落ち込んだり悩んだりはしませんでしたが、流石に不安に襲われる事もありました。
が、その時に「人間失格」の中に【勇気を持たせてくれた】一説がありました。
今日はそれをシェアしようと思います。
何かに挑戦するのに尻込みしている人、不安に襲われている人は、ぜひ読んでみて下さい。気が楽になりますよ?
少し読み易く添削しています。
「しかしお前の女道楽も、このへんでよすんだね。これ以上は世間が許さないからな」
世間とはいったい何の事でしょう?
人間の複数でしょうか?
どこに、その世間というものの実体があるのでしょう?
けれども何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、
しかし堀木にそう言われて、ふと「世間というのは、君じゃないか」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤでひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
一部省略
けれどもその時以来、自分は(世間とは個人じゃないか)とい、思想めいたものを持つようになったのです。
___________ここまで___________
◆世間の正体とは?
どうですか?
私はこの文章を読んだ時、ようやく「世間」というものの実態がハッキリつかめました。
そう、世間とは【自分、つまり個人のこと。もしくはその人の周りの世界】という事に気付きました。
親や親戚が「私は反対だ。だって世間様に笑われるわよ!」と言っていた世間様は実在する事はないんです。あくまで個人の集合体です。
自分個人の意見であるにも関わらず「世間」という言葉を用いて、あたかも根拠や説得力が増したかの様に見せかけ、ドヤ顔をしている人が多いですが、
本当は
「世間の人」が許さないのではなく「その人個人」が許さないんです。
とても奥深い一節ですね。
特に田舎などは、コミュニティが狭く、みんながいわゆる「実体のない世間」に怯え慄いています笑
が、これって見えもしない幽霊に対して(幽霊の方がまだ信憑性がある笑)
「幽霊に許されないから辞めとこうか」と言っている様なもんです。
それに、言っちゃえば
《本当の世間や社会は、私やあなたに興味何か全くないから、好き放題して全然大丈夫ですよ笑》
あなたが有名人じゃないのなら、本当の全然はあなたの一挙手一投足に何も言いませんし、あなたの選択に対して賛成も反対もしません。
【本当の世間はあなたの敵でも味方でもなく、ただそこにあるだけ】です。
なので、偽りの世間(個人)や本当の世間を理由に、何かに挑戦しないで燻ってる何て勿体無いですよ。
ぜひ行動してみて下さい。
本当の世間は「無」だと気付けるハズです。
ではでは( ´ ▽ ` )ノ
今日も貴重なエネルギーを使い読んで頂き、ありがとうございました。
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